アート・プロジェクトは茨城県つくば市にある美術画廊です。真作版画のみを取り扱いしています。価格は全て送料込み。
1860年 チェコ南モラビア地方のイヴァンチッチェに生まれる。 1874年 中学を卒業、書記として働き、デッサンを学ぶ。 1879年 ウィーンに行き、舞台美術工房で働く。デッサン教室に通い、舞台背景画家をめざす。 1882年 ウィーンからミクロフに移る。 1883年 最初のパトロン、クーエン・ベラン伯爵に会う。 1884年 伯爵の援助を受けて、ミュンヘンの美術アカデミーで学ぶ。...
1941年 イギリス生まれ。 1964年 ロンドン王立美術学校卒業。 1981年 フランスで個展。 1985年 サンフランシスコで個展。 1987年 ノルウェー、オランダで個展。日本全国で来日記念展開催。 1989年 広島平和記念館に『ダンス・フォア・ピース』寄贈。...
1935年フランス・パリ生まれ。 カシニョールが描く憂いを帯びた表情、気品のある佇まいの女性像は日本でブームになり、現在でも人気があります。
フランスの画家、製図者、版画家。 美術史では一般的にアンリ・マティス、アンドレ・ドランなどのフォービスムや表現主義の作家として知られている。 敬虔なカトリック教徒であったルオーは、自身の制作を「熱心な信仰告白」と称している。娼婦やピエロをしばしばモチーフに選び、彼らを救済するかのようにキリストの顔(聖顔)やその姿を繰り返し描いた。 「20世紀最大の宗教画家」とも呼ばれる。
イギリスを拠点とする素性不明のアーティスト、政治活動家、映画監督。 彼の政治および社会批評の作品は、世界各地のストリート、壁、および都市の橋梁に残されている。 2018年 10月のサザビーズオークションにて「赤い風船に手を伸ばす少女」が約1億5500万円で落札される。しかしその直後に、バンクシーが予め額縁に仕掛ていたシュレッダーによって、作品が切り刻まれた。前例のないこのパフォーマンスにより、作品の価値がさらに上がったとされている。 2019年 10月のサザビーズオークションにて、2009年制作の「退化した議会」が約13億円(約990万ポンド)にて落札され、バンクシー作品の最高落札価格を更新。
日本ではカラフルなシルクスクリーンアーティストというイメージが今なお強いが、世界でのヒロ・ヤマガタはむしろレーザーやホログラムを使った現代美術家として知られており、先端的なイリュージョニストとして現在も精力的に活動している。
1853年 フロート・ズンデルトで牧師の家庭に生まれる。中学校を中退して帰郷。 1880年 画家になる決意。ブリュッセルのアカデミーで解剖学と遠近法を学ぶ。 1882年 兄の画家アントン・マウフェに就いて本格的に画業開始。 1886年 弟テオのアパートに転がり込む。 モンマルトルのアトリエに通い、ロートレックらと知り合う。 また印象派を知り、次第に色彩に変化が生じていく。 1888年 パリの喧噪を逃れ、南仏のアルルへ。...
花や風景、人物などを独自のスタイルで抽象化した作品で知られるフランスの画家。1919年5月20日、フランス・パリに生まれ、パリ国立高等装飾美術学校で学ぶ。 2004年没。
作風は力強い描線と鋭いフォルム、遠近法を強調したコンポジションに乾いた詩情、沈黙と虚無感が漂う。 白と黒の冷たい色調から現代の孤独を描く「悲惨派」の旗手とされた。色調やテーマは様々に変化したが、常に独特の画風を展開し続けている。 作品はパリ国立美術館をはじめ、世界各地の美術館に収蔵されている。親日派としても知られ、各地の神社仏閣を回って親交を深め、相撲観戦も楽しむなど、日本文化を積極的に取り入れた。
1919年-2016年 パリ画壇の中でもわかりやすい具象絵画(静物、風景、人物の油彩)で親しまる、人気作家の一人。 子供、自転車、飛行機、鳥、魚、太陽などモチーフが、パリ、サントロペ、ヴェニスなどを舞台として、自由かつ軽やかに舞い遊ぶ軽快なタッチで、鮮やかな色彩が織り成す歓びに満ちた夢のような世界を描いた。 素朴にデフォルメされた作品群は、生前好きだったフォークアートの世界にも通じている。
ロシア、ウィテブスクに生まれ。ユダヤ人。 シャガールは妻・ベラを一途にひたむきに愛しぬきました。 そのため、シャガールの販売されてい名画には恋人や結婚をモチーフとする作品が多く散見され、「愛の画家」とも呼ばれています。
1933年フランス生まれ。 現代画家として最高位のナイトの称号を授与される。 幼少の頃に母親に聞かされたパリの街のたたずまいの美しさに心を奪われ、フランスの街角を愛情豊かに描き続けている。 国際的な数々のグランプリを受賞。アトランタオリンピック、アートエキスポNY、仏W杯サッカー公認アーティストに選ばれる。
1883年フランス生まれ。家庭環境に恵まれず、アルコール依存症となりその治療として絵を描き始める。 中でも1909年から14年頃の「白の時代」の評価が高い。教会や小路などを描いた白を基調とする画面からは、静謐さと、そして、何とも言えない寂しさを感じる。 パリの町並みを描いた抒情的な風景画が魅力的である。1955年没。
1888年~1950年 フランスのトゥールーズに生まれる。絵葉書の工房などで働きながら絵画を学びジュール・シェレなどから影響を受ける。 1912年バルセロナのギャラリーで最初の個展を開く。 1913年よりエッチングの技法を用いたファッションデザイナーとして活躍した。 イカールは鮮明な線による軽快な明るい女性の理想を追求している。 そのポピュラーな美しく気品に満ちた作品は全世界を感動させて10年以上にわたるアールデコの時代を復活させた。
1908年-1999年 ペイネの作品は、愛し合う恋人たちと共に小鳥や リス、木々に囲まれていて、自然と調和する愛と 平和の世界観が特徴。 独自の魅力と心温まるストーリーテリングに よって母国フランスで国民的な人気がある。 ペイネはフランスの美術学校を卒業後、広告代理店で イラストレーター・デザイナーとして働き、香水やチョコレートの箱のデザインなど幅広く手掛けていました。 その後結婚して独立しましたが、 ヴァランス市にて相手を待っている間、時間を潰すため、いつも携えていたスケッチブックにヴァランスのキオスク(野外音楽堂)を描き始めました。 音楽家やバイオリンを弾く男性、それを聴いている客の女性…。 彼には、優しい音楽を奏でるバイオリン弾きや、うっとりとそれを聴き入る愛らしい女性がはっきりと見えていたのでしょう。...
現代「花鳥画」の最高峰と言われる。特に鳥の写生には強いこだわりを持っており、「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない」と言い、鳥の観察のためにインドやオーストラリア、東南アジア等を旅行した。また、奈良市郊外の自身のアトリエの敷地にも大規模な禽舎(鳥小屋)を設け、1,000羽を超える鳥を飼って生涯観察を続けていた。 1902年 京都市に生まれる。 本名信太郎。母は閨秀画家上村松園。 1930年 京都市立絵画専門学校研究科を修了する。 1972年 京都市の文化功労者として顕彰される。 1973年 京都府より美術工芸功労者顕彰。勲三等端宝章を受章。 1984年 京都市名誉市民となる。文化勲章を受章する。...
1933年 上村松園の孫として京都市に生まれる(本名:淳) 1953年 京都市立美術大学日本画科入学 祖母松園の没後空家になっていた奈良県平城の唳禽荘に移り住む 1959年 京都市立美術大学専攻科を修了 1972年 京都市立芸術大学助教授に就任 この年から画号「淳之」を用いる 1997年 「画業三代の精華上村淳之・松篁・淳之展」開催 京都市立芸術大学教授を退任、同大学副学長に就任 2002年 日本芸術院会員となる 2010年 平城京跡第一次大極殿内壁画制作 2013年 文化功労者に選出...
加山又造は戦後の日本画壇を牽引した画家であり、日本画に新しい風を吹き込むため、国内外のさまざまな絵画を学び、独自の感性で取り入れました。 加山は多くの傑作を生み出し、時には「現代の琳派」と称される装飾性の高い作品にも挑戦。噴霧器やエアブラシなどを使用した水墨画にも取り組み、作風を大きく変えながら新しい時代の日本画を模索しました。 1927年 京都市上京区の西陣織の衣装図案絵師の長男として生れる。1940年 京都市立美術工芸学校に進学し、本格的に日本画を学ぶ。1944年 東京芸術大学美術学部日本画科に入学。1949年 卒業後、山本丘人に師事。葛飾区立中学校の美術講師として勤務。1950年 創造美術春季展に、初入選・研究科賞受賞。1955年 浜田知明より、助言を受けて、銅版画を制作する。1966年 多摩美術大学日本画科教授。1973年 新潮文芸振興会より日本芸術大賞を受ける。1988年 東京芸術大学教授。2003年 文化勲章受章。2004年 逝去。
東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。 1995年「ベネチア・ビエンナーレ」に「ザ・フォール」を出品し、東洋人として初めて名誉賞を受賞。 2020年には和歌山県にある 世界遺産・高野山 金剛峯寺にふすま絵を奉納するなど、日本国内外で広く活躍している。
1911年-2004年 富山県生まれ。 高等女学校在学中から絵画制作に興味を抱き、詩を試みたり、壺井栄に師事して童話を学ぶなど、多岐にわたる創作活動に取り組みました。しかし、浜口陽三との出会いがきっかけで、銅版画の世界に魅了されることとなりました。 約40年にわたり、南桂子の作品のモチーフはほぼ一貫しており、鳥、少女、孤立した一本の木などがその中心です。 一人で立ち上がる姿や静かに立ち止まる姿、透明感に満ちた世界が描かれています。その絵の中には、孤独とそれを克服した幸福が穏やかに調和しているかのような雰囲気が漂っています。 銅版画特有の肌合いは、この静かで繊細な世界を表現するのにぴったりです。優しさや寂しさ、憧れ、そして希望などが、淡い色彩として輝く光の粒子のように、作品にちりばめられています。
日本の青森県出身の画家・彫刻家。 世界的に評価されている美術作家で、ニューヨーク近代美術館やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど日本の現代美術の第2世代を代表するひとり。 大きな瞳でこちらをじっと見つめる少女をモチーフにしたドローイングや、アクリル絵具による絵画で知られる。
山中現(やまなかげん) 1954年 福島県に生まれる。 1978年 東京芸術大学美術学部油画科卒業 1999年 ぶどうの国国際版画ビエンナーレ(山梨県立美術館) 絵本の挿絵も担当しており、代表作に「ついていったちょうちょう」(作:新美南吉)や、「こもりうた」等がある。 白や黒、グレーを基調にした作品を生み出し、宇宙や夜を背景に、棒状のかたちをした有機体が登場するシリーズを発表しました。 木版画の柔らかいタッチと、不思議で可愛らしい雰囲気が人気の版画家です。
1961年大阪府生まれ。 1986年 金沢美術工芸大学大学院修了。 1993年 さっぽろ国際現代版画ビエンナーレ大賞受賞。 1995年 文化庁在外研修員としてイタリアへ留学。 1998年 現代日本美術展和歌山県立近代美術館賞受賞。 日本版画協会会員。 がらんとした薄暗い室内、やわらかく差し込んで来る窓辺の光。光と影のモノクロームな静寂した世界を 描き続けている。
日本画家。多摩美術大学教授、了徳寺大学学長を歴任。 近年はフランスでの個展や「ジャポニスムシリーズ」の熱心な制作といった活動によって功績が高く評価され、フランス共和国芸術文化勲章を授与されました。 「路シリーズ」や「ニューヨークシリーズ」、そしてクロード・モネの睡蓮にインスピレーションを受けた「ジャポニスムシリーズ」などがライフワークであり、代表作です。 伝統的な日本画を受け継ぎながらも常に新しい画風への挑戦を試み、国内外で「現代の琳派」と称され、高く評価されています。
1930年 千葉県の真言宗住職の家に生まれる。 1946年 山本丘人に師事。 1949年 田中青坪に師事。 1952年 再興第37回院展で「風景」が初入選。 1965年 再興第50回院展で「寂韻」が日本美術院賞・大観賞受賞。 1969年 再興第54回院展で「淙想」が日本美術院賞・大観賞受賞。 1976年 再興第61回院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞。 1979年 現代日本絵画展代表団の一員として初めて中国を訪問。 これを機に、毎年のように中国へスケッチ旅行に出かける。 1981年 ネスカフェゴールドブレンドCMに一年間起用される。 1986年 中国・西安美術学院名誉教授となる。 再興第71回院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞受賞。...
1907年 福島県会津坂下町に生まれる。 1931年 上京し独学で絵を学ぶ。 1936年 初めて木版画を制作。第5回日本版画協会展に出品し初入選。 1937年 第12回国画会展版画部門に初入選、没年まで連続出品。 1951年 サンパウロ・ビエンナーレに「凝視(花)」を出品。 1957年 第2回リュブリアナ国際版画ビエンナーレに出品し受賞。 アジア・アフリカ諸国国際美術展に出品し受賞。 「斎藤清木版画展」ワシントン・コーコラン美術館にて開催。 1970年 連作「会津の冬」最初の20点を発表。鎌倉市に転居。 1977年 「斎藤清展」開催のためチェコスロヴァキアを訪れる。 1981年 勲四等瑞宝章受章。 1995年 文化功労者に顕彰される。...
1913年 新潟県北魚沼郡に生まれる。 1932年 台南師範学校卒業、現地にて教職を13年間務める。 1946年 台湾より引揚げ、謄写版印刷業を営みながら孔版画を始める。 1949年 日本版画協会展で根市賞受賞。 1956年 42歳で武蔵野美術学校西洋画科を卒業、木版画を独習。 1959年 第39回国画会展で国画賞受賞。 1960年 国画会会員に推挙される。 1965年 十日町市の江戸屋織物の依頼により木版手摺り塩瀬帯の製 作に携わる。 1976年 「星襄一 木版画自選展」全国7都市で開催。 1978年 「第2回日本縦断 星襄一...
1962年 東京に生まれる。 1986年 東京芸術大学美術学部日本画科卒業。 1991年 個展「TAKASHI,TAMIYA」で現代美術アーチストとしてデビュー。 1993年 東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。 1994年 ロックフェラー財団のACCグラントによりPS1.ARTPROJECTの招待を受け、 ニューヨークに滞在。N.Y.スタジオを設立する。 翌年帰国し、埼玉県朝霞市に自身の作品制作スタジオと若手アーチストの育成・プロデュースの場を兼ねたHIROPON FACTORY(現Kaikai Kiki)を発足。 2019年 ドラえもん展2019でドラえもんとコラボレーションした作品を制作。 作品は日本アニメをベースに敷いたポップな作風が有名だが、その裏には日本画の持つフラット感、オタクの文脈とリンクした緻密さ、またヒエラルキーに裏付けられた西洋至上主義に対する決別といった現代日本固有のキーワードが隠されている。 現在ニューヨーク市ブルックリンと日本を行き来しながら作家活動を続ける一方で、アーチスト集団ヒロポンファクトーを主宰し、商品開発、出版などのメディアを巻き込む多角的活動や若手アーチストの育成とともに展覧会企画商品開発、アートマーチャンダイズの開発販売、アートイヴェント製作、アーティストのマネージメント等を手掛ける。...