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廃墟すら亡びたり(ミセレーレ)

廃墟すら亡びたり(ミセレーレ)

通常価格 ¥120,000 JPY
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作家:ジョルジュ・ルオー

作家名:ジョルジュ・ルオー

作品名:廃墟すら亡びたり(ミセレーレ)

技法:アクアチント・ドライポイント

エディションNO:450部

サイン:

制作年:1926年(1948年刊行)

額寸:83.5H × 67.5W cm

画寸:57.5H ✕ 44.5W cm

その他:レゾネNO.#87

作品全体に薄いヤケがございます。 他、目立ったキズや汚れはございません。

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ジョルジュ・ルオーじょるじゅ・るおー

1871年  527日、パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人

父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素猫を学ぶ。

1890年  画家になる決心をし、国立美術学校に入学。エリー・ドローネの教室に入る。

1892年  ドローネの後任にギュスターヴ・モローが就任。キリスト教主題の作品をレンブラント風に描く。

1892年 「博士たちの間の幼きイエス」によりシュナヴァール賞受賞。ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学

1898年  モロー死去

1903年  パリにモロー美術館が閉館し、モローの遺書により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を書き始める。

1904年  サロン・ドートンヌに作品を出品。観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。

1908年 「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。

1913年  ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラールが、今後の全作品を購入するよう申し出る。

1917年  画商ヴォラールと専属契約を結ぶ。『ミゼレーレ』『悪の花』などの版画集を計画。

1918年  油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マチエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。

1924年  ドリュエ画廊で大回顧展開催。

1929年  日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。

1930年  版画集『流れる星のサーカス』『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマチエールで描く。

1937年  パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。

1941年  アメリカ各地で巡回店。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマチエールの小型の作品を描く。

1951年  黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。

1955年  ローマ法皇ピウスよりグレゴリオ大勲章を授与される。

1958年  213日死去。17日、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で国葬。

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