曲芸師(シュアレス・サーカス)
曲芸師(シュアレス・サーカス)
作家:ジョルジュ・ルオー
作家名:ジョルジュ・ルオー
作品名:曲芸師(シュアレス・サーカス)
技法:アクアチント
エディションNO:270部
サイン:
制作年:1930年
額寸:67.5H × 58W cm
画寸:30.7H × 21.5W cm
その他:レゾネNO.#199
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ジョルジュ・ルオーじょるじゅ・るおー
1871年 5月27日、パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人
父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素猫を学ぶ。
1890年 画家になる決心をし、国立美術学校に入学。エリー・ドローネの教室に入る。
1892年 ドローネの後任にギュスターヴ・モローが就任。キリスト教主題の作品をレンブラント風に描く。
1892年 「博士たちの間の幼きイエス」によりシュナヴァール賞受賞。ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学
1898年 モロー死去
1903年 パリにモロー美術館が閉館し、モローの遺書により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を書き始める。
1904年 サロン・ドートンヌに作品を出品。観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。
1908年 「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。
1913年 ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラールが、今後の全作品を購入するよう申し出る。
1917年 画商ヴォラールと専属契約を結ぶ。『ミゼレーレ』『悪の花』などの版画集を計画。
1918年 油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マチエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。
1924年 ドリュエ画廊で大回顧展開催。
1929年 日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。
1930年 版画集『流れる星のサーカス』『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマチエールで描く。
1937年 パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。
1941年 アメリカ各地で巡回店。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマチエールの小型の作品を描く。
1951年 黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。
1955年 ローマ法皇ピウスよりグレゴリオ大勲章を授与される。
1958年 2月13日死去。17日、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で国葬。