ユトリロの正式名称は、「モーリス・ユトリロ・ヴァラドン」と言います。
下記は都市伝説めいたお話です。
ユトリロの母親のシュザンヌ・ヴァラドンは、大変な美人でした。
14歳の時にルノワールに出会い、彼の愛人兼モデルでした。
ルノワールの40歳ごろの出会いで、多くのルノワールの名作には彼女がモデルとして描かれております。
ヴァラドンが18歳の時に、ユトリロを出産しました。
ヴァラドンには恋人が多くおりまして、本人以外は父親は分からないでしょう。父親の名を口にしたことはありませんでした。その為、ルノワール父親説が有力視されております。
その後、ヴァラドンは画家としても大成し、フランスで権威のある勲章「レジョン・ド・ヌール勲章」を授与されております。
兎も角ユトリロは私生児として生まれ、学業に専念できずに、アルコール中毒の問題児として精神的に病んでゆきました。
リハビリとして始めたのが絵を描くことでした。
ユトリロの描いた絵がパリで評判になり、契約画廊が表れて次第に経済的にも自立できるようにうなります。
ルノワールの血脈を継いでいるためか、晩年のルノワールの知られざる支援もあったのか?分かりませんが、このサクセス ストーリーには驚かされます。一切のアカデミズムとは無縁のユトリロの成功の裏に何があったのか、謎のままです。
しかし、ユトリロの描くパリの風景画は、哀愁を帯びて、パリの良き時代を代表する名作であることはご存じの通りです。